タイで働いた時の思い出、経験は宝物。

わたしはタイに出向して会社を立ち上げる仕事をしました。

 

私は地方の生産工場で生産管理を担当していました。工場ではビデオデッキの組み立て生産をしている工場で

 

得意先からの注文に合わせて生産計画を立てたりするのが仕事でした。得意先の要望は絶対でした。得意先から倍のビデオデッキを作って下さいと言われたら何が何でも作るこれが下請けの宿命でした。

 

またコストが高いので安くしてくださいと言われたらコストダウンしました。そして得意先が海外で生産するのでどうしますか?と言われたらさすがに私のような一担当者では判断がつかないので社長が判断して決断しました。それで海外に進出する事になりました。

 

何もない所に工場を建てて機械を導入して現地の人を雇いそして現地の人を指導する。

 

得意先の工場に合わせてそして注文に合わせて生産をする。私は海外進出をするメンバーとして選抜されました。

 

スタッフは多ければ多いほど良いのですがそれでは莫大な費用がかかります。それに日本にも工場があるのでそれも維持しなければいけません

 

とにかく会社としてはとてつもない大博打に出たのです。メンバーは現地タイ工場の工場長そして製造部門そして組み立て部門。

 

品質管理部門 総務購買部門 資材部門 経理部門 生産技術部門と日本人スタッフは約10名位でその他には現地タイで仕事をしていた人でタイ語のわかる人2〜3名雇っていました。

 

私はその中で総務購買そして生産管理を担当しました。タイに行って約3〜4か月バンコクのホテル住まいをしながらバンコク事務所で工場ができるまでの間事務的な仕事をしていました。

 

とにかく何もないのでバンコク事務所の机や椅子を購入する所から始まりました。

 

現地のタイで普通のお店からいろいろ必要な事務所で使う物を購入しました。言葉がわからないので当然現地の言葉がわかる人と一緒にいろんな所に行きました。

 

バンコク事務所ではその他に工場で使う物を手配したり得意先の担当者と打ち合わせをして生産日程を組んだりそして一番大変だったのは人選でした。

 

現地の作業者を雇う為に面接をしました。タイに行って約4カ月工場が出来てスタッフも集まり生産ラインも出来て

 

生産組み立てメンバーも揃いいよいよ工場がスタートしました。スタートするまでいろんな事があり感無量でした。

 

しかし大変なのはこれからでした。生産がスタートして得意先に出荷するまでそしてそのやり方を継続して現地スタッフに教える。日本人スタッフが日本に帰っても現地スタッフだけで生産できるように指導しなければいけません

 

これが大変でした。結局私は現地の言葉がわからないそして英語が出来ないので現地の人を上手く指導できないので私はタイ工場を辞める事にしました。

 

私にとってタイでの経験は宝物です。今でも思い出すと胸が熱くなります。現在はなんだかんだで子供を二人授かり、家族と幸せに暮らすことができています。

 

タイで妊娠中は葉酸を摂取した方が良いという上司の言葉を覚えておいてよかったです。